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藤の屋文具店

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猿でも書けるエッセイ教室 2



        【猿でも書けるエッセイ教室】

         人の心を傷つけてみよう


 よく、「俺は優しいから他人を傷つける事ができない」としゃあ
しゃあと言ってのける人がいますが、あれはただの無神経です。自
分自身の感覚がすべてのように思いこんでいるので、他人の痛みに
鈍感でいられるのでしょう。他人を傷つけずに生きていけるものな
ど、いるわけがないですね。そして、傷つける側が無意識であれば
あるほど、傷つけられるほうはやりきれなくなるものです。このこ
とを理解できない人は、言葉によるコミュニケーションには手を出
さない方が賢明です。どんなに誠意を持って書いたところで、必ず
誰かを傷つけるものなのです。どこにでもある平凡な文章を例に挙
げて、一緒に考えてみましょう。

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 福井県は、現在でも世界で類を見ないほどの原発密集地帯である。
それなのに、今また、この地にさらに新しく原発を増設しようとい
う動きがある。
 聞くところによると、日本の電力のコスト事情では、もはや原子力
は安いものではなくなっていて、火力と水力を利用したほうが経済的
であるらしい。いったい、何ゆえにここまで原子力にこだわるのだろ
うか?

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 この文章から感じとれるのは、一見、原子力発電を推進しようとす
る人々に対する、控えめな抗議だけのように思えますね。こういう角
度からだけ眺めると、我々の頭には、原子力は危険だが、水力や火力
は安全だという対比しか見えなくなるからです。
 しかし、ダムの底に故郷を持つ人々にとっては、これは必ずしも優
しい文章ではないわけです。石油利権争いのために、我々の代わりに
血を流した米軍の遺族にとっても、そうでしょう。
 我々は、自分にとって不安なことには敏感になれますが、遠いとこ
ろで我々の犠牲になっている人々については、おそろしく鈍感になれ
るものなのです。そして、その「我々」が、マッスとして大きければ
大きいほど、遠いところの小さい「彼ら」は、傷ついているというこ
とすら表現できなくなる立場に追い込まれていくのです。
 牛乳パック再生で世論が盛り上がれば、「地球を守れ」という脳天
気なかけ声の陰で、再生紙工場の周囲で化学薬品の悪臭に悩む人たち
は、じっとがまんして「お国のため」に沈黙せざるを得ないわけです。
 さほど遠くない昔の、この国の悲劇は、ジャーナリストがもっとし
っかりしないと、いつでも再現しそうですね。表現の自由というのは、
ほんとうは、陰毛を印刷するということではないのです。

 でも、誤解しないでください、だから気を遣って文章を書きなさい
と言うのではありません。誰の心をも傷つけない文章というものがあ
るとしたら、それは恐ろしくつまらないものでしかないでしょう。苦
くも辛くもない料理がまずいのと同じです。絶対に傷つきたくない人
は、電話帳か原子周期表でも眺めていればよいのです。誰をも傷つけ
ない文章はまた、誰をも感動させ得ない文章でもあるのです。他人の
心を傷つけない事ばかりに注意がそれて、本来伝えたい心が伝わらな
いならば、それは本末転倒というものです。
 われわれは、生きていくために、すでにたくさんの命を犠牲にして
しまっています。必要以上に殺生をする事は避けたほうがよいでしょ
うが、アリを踏み殺さずに一生を過ごす事が偉いわけではありません。
犠牲になるものたちの事をきちんと心の片隅において、すべてを覚悟
の上で言いたい事を言う事が、まっとうな方法だと僕は信じます。さ
あ、一緒に地獄におちましょう(^^)。

 では、どうすれば人の心を傷つける文章が書けるのでしょう。悪口
では駄目ですね。チビだ近眼だデブだという単純なこきおろしでは、
きちんとした人生を歩んできた人間ならびくともしません。ほかに誇
るべき何物ももたない、ただいたずらに年齢を重ねてきただけの人間
ならいざしらず、自分の人生に誇りを持って生きている大人には通用
しません。とかく、人間は、自分の心の痛みを基準にして他人をはか
る傾向が強いので、このようなアプローチをすると、自分のレベルを
さらけだしてしまって、恥をかいてしまいますね。
 
 人間が傷つくのは、たとえば、誰か大切な人のためにと考えて行っ
ていた行為が、実はその人にとって迷惑でしかないと気づいた時です。
母親が息子にべちゃべちゃかまったあげくに見捨てられるアレです。
甘ちゃんの男が女を追い回して拒絶されて自殺するアレです。生活指
導部のセンセが、生徒から心底軽蔑されているのを知ったときのアレ
です。
 そう、悪い事と知りながら悪い事をしている人は、そんな事を指摘
したって傷ついたりしません。良い事だと勘違いして努力してきた人
が、自分のばらまいた迷惑の姿を想像して心に芽生えさせる、やり場
のない後悔と失望と恥辱こそが、ひとの心を内側から切り刻む事がで
きるわけです。そしてまた、こういう傷を心にいくつも重ねる事で、
ひとはまた、一歩づつ、本当に強くて優しい存在へと、自分を近づけ
ていく事が可能になるのです。痛みを知らぬひとたちの振り回す「優
しさ」なんぞ、まじりっけのない純度100パーセントの精白糖でこ
さえたお汁粉のような、深みのない「甘さ」にすぎません。お子様む
けの飴玉にだって、わずかの食塩くらいは入っていますね(^^)。
 
 さて、ここまで読んできたあなた、何か気づいた事があると思いま
す。そう、先ほど例題として出した文章の説明文そのものが、物事の
表面だけをとらえてムードだけで反対している「正義の味方」の人た
ちに対して、今述べたばかりの「心を傷つける」効果を期待して書か
れているという事です。そして、単なる幼稚なあてこすりでは、人は
腹を立てるだけですが、こういう方法で人を傷つける文章は、読んだ
人の心にちくちくと刺さって何かを訴え続けていくのです。

 今回はここまで。





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